柵で囲って「自分」を保存する

東浩紀さんが主催している「webゲンロン」で、とある女性の悩み相談の記事を読んでいた。

その中で以下の文章が心に引っかかった。

シラスを聞いていることで、母ではない自分を大切にできているように思います。

webゲンロン

※シラスは、ゲンロンが運営している放送プラットフォームのこと

その女性は、学生時代は本が好きだったのに、子どもが生まれて忙しくなってからは、本を読む気持ちになれないという。

そして、そんな慌ただしい暮らしの中で、シラスを聴く時間が「一番の息抜きであり刺激」になっている、ということも語っていた。

「母ではない自分を大切にできている」という言葉。そこから伝わってくる、「母ではない自分」を手放さずにいることの重要性。そういった感覚は、ぼくにもとてもよくわかる。

どれほど仕事が忙しくても、どれほど生活が慌ただしくても、失いたくない「自分」がある。

ぼくは未だに文学や学問に触れると、かつての「自分」が戻ってくるのを感じる。忘れられていた「自分」にふたたび血が通い、身体が更新されて、若々しい気持ちを味わう。大学の図書館で分厚い本に向かっていた、あの頃の「自分」。

この「自分」を手放さずに生きていくためには、「」が、つまり囲いが、必要になる。

文学だの学問だのといったものに、生活の中心軸を置ける人は少ない。それらはある種の贅沢であり、日常生活の上ではかさばりすぎる。生活全般に引き延ばせる自分でないならば、大事に囲って保存しておくしかない。

「」を作るのは、時間と空間だ。庭の一角に柵で囲った小さなスペースを作るように、生活の一部を、一日の中のある時間を、わざわざ柵で囲ってあげる必要がある。そうして、そのスペースを他とは違うものにしないといけない。

大切にしたい「自分」が、現実によって踏み荒らされやすいものであればあるほど、柵で大事に囲っておくことが重要になる。それを守るためには、ぼくらは花壇への立ち入りに目を光らせる美化委員にならないといけないだろう。

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今日は1時間もオーバーしてしまった。この手の情報にアクセスすると、書きたいことが増えすぎて困る。今日はここまでにしよう。

参考記事

【 #ゲンロン友の声|027 】子供が生まれてから本を読む気になれません