昨日、お昼に残りのお好み焼きをレンジで温めて、一人で食べた。嫁は寝るのが遅かったので、まだ布団の中にいる。
温め直したお好み焼きの中には、エビが入っている。噛んだ瞬間、前日の夜にあったうれしい出来事を思い出した。
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久しぶりにお好み焼きを食べることになった。キャベツを一玉分ガーッとミキサーで引き、具はタコとエビ。豚のロース肉を上にかぶせて焼いた。
一枚目を食べ始めたとき、嫁が早速、生地の中からエビを発掘した。箸で半分に切り分け、片方を口に入れる。そうして残りの半分をぼくにくれようとした。
「嫁ちゃんがお食べ」と返そうとすると、「旦那くんに食べてほしいの!」と言って、ぼくのお好み焼きの端っこにエビの半分をのせてくれた。
エビはぷりぷりして想像以上に美味しかった。
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あのとき、お好み焼きはまだほとんどが残っていた。目の前の生地の中にエビはまだたくさん潜んでいて、わざわざ半分こにしなくても、いずれはぼくの口に入るはずだった。
そう考えると、嫁が分けてくれようとしたものの正体がはっきりしてくる。
嫁が分けてくれようとしたのは、エビではなかった。ごろりとした大粒のエビは、とっておきの具材である。嫁はエビを発掘した、そしてうれしくなった。だからその喜びをぼくに分けたくなったのだ。
これが、最後の一個を分けてもらうより、最初の一個を分けてもらう方がなおいっそう嬉しい、その理由である。それは袋の底に残った黄金ではなく、心の器から思わずあふれ出た黄金である。気遣いではなく、ただただ純粋な喜びのお裾分けである。
嫁の心を明るくしたエビは、ぼくのお皿の上にこぼれ落ちて、ぼくの心までを明るくした。腕に抱えた黄金が二人の盗賊の顔を照らすように、食卓の上のお好み焼きが、半分にされたエビが、ぼくらの心を明るく照らしたのだった。