“船”のイラストと「生きていく」ということ

6時起床。

昨日は日付が変わる直前に寝ているので、きっかり6時間睡眠だ。

……

久しぶりにここのblogを開いた。

このサイトの看板に使っている船のイラストは、Notionでもオリジナルアイコンとして使用している。Notionで物を書いていてそのアイコンがふと目に入ったとき、胸の内からこみ上げてくるものがあった。この下手くそな”船”のイラスト──それはすでにぼくにとって、象徴的な意味を運んでくる一編の詩のようなものになっている。

生きる、もしくは生きていく、ということを考えるとき、ぼくには”船”のイメージがもっともしっくり来る。これはサン=テグジュペリの影響が強い。彼は屋敷で暮らしていた小さい頃を回想して、家を時間という大海を進む一隻の船に喩えた。ぼくらの船はそれほど大きくはないけれど、自分たちの暮らしは、頼りなげで危なげな小さな船で海を渡っているようなものだと感じることがある。

人のいる陸の世界から孤立しがちなところや、波に揺さぶられたら転覆しかねないところ、この世の富よりも星や風を糧にして生きているところ、はるか遠くまだ見ぬ行き先を信じて終わりのない船旅をつづけているところ──そういったもろもろが”船”という一つのイメージによって束ねられている。

この船のイラストを見ると、自分がどのような世界をどのような形で生きているのかを思い出す。しっかり生きねばとも思うし、舵取り一つでどこにでも行けるのだとも思う。同乗者である妻の行く末を預かっているのだとも思う。

人生は自由でたいへんで一度きりだ。風を感じながら、星を頼りに進もう。波と戦いながら、妻とたのしく暮らそう。船のイラストは見るたびにぼくの中に卒業式の日の朝のような、いくらか厳粛な気持ちを運び込む。生きていくということにちょっとマジメな顔になる。

……

そんな思いに誘われて、久しぶりにこのblogを開いた。

ここはぼくにとってもっとも「生きる」ということと結びついた場所だ。いや、「こう生きたい」という願いを綴る場所といった方が正解かもしれない。

ここでblogを書くとき、ぼくはたしかに自分がこう生きたいと思った通りの進路に進んでいると実感することができる。それは他の場所ではなかなか得られない感覚で、返ってくるたびにああと嘆息したくなるような、久しぶりに教会に行ったときのような、いつだって忘れかけていた何かを思い出すような気持ちになる。

やはりぼくはここにいたい。どれほど日常生活が忙しくても、どこかでここに滞在できる時間を作りたい。ここはぼくにとっての教会だ。祈りのような朝の時間の中で日記を書く習慣を、ふたたび再開しようと思う。