朝。五時半起床。机の板材がいつもよりよく冷えている。今日は寒い日のようだ。
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昨日、「お兄さまへ」という古めのアニメを観た。アマプラでたまたま見かけて再生してみたら面白かったので、そのまま5話あたりまで鑑賞。1990年に作られたものらしい。
お嬢様たちが通う女子校を舞台にして、「飛んで埼玉」でパロディとして用いられていたような華美で西洋趣味でコテコテな味付けを大まじめにやっているような作品で、最初は妻と二人でゲラゲラ笑いながら観ていたが、次第に芯の通った美学のある作品だとわかり、独特の美しさを楽しみ始めた。
この時代の少女漫画に見られたような、華美だが品のいい西洋趣味にはどこか惹かれるところがある。読んだことはないが、「ポーの一族」などにも同じ憧れが現れているように感じられる。アメリカ的で物質的な豊かさとは少しベクトルが違う、貴族的で精神的な豊かさへの憧れ。
この作品を観ていて興味深いことの一つが、そういった「西洋趣味」がどのような形を取って当時を生きる女の子の元へと届いているかという、ある種の「文化の物流」という視点から眺められることだ。たとえば、オルゴール。たとえば、喫茶店のシュークリーム。たとえば、ピカピカに磨かれた銀食器。たとえば、お兄さまへの手紙。親愛なる人に手紙をしたためる文化も西洋の貴族たちの趣味だ。
日本というアジアの島国に生きる人間が西洋の文化をそっくりそのまま真似することはできない。生活の土台が違いすぎる。そんな中でどのようにして西洋文化の味わいに触れるか。それらが持つ美しさをなんとかして生活の中に取り込み、それらの精髄でもって自分の身を養えるようにするのか。何かしらの「物流」がそこには必要になる。
ぼくが子ども時代を過ごす頃には、この作品の中に見られるような西洋趣味はすでに終わりを迎えていた。豊かさはすでにアメリカに由来するものであり、西洋の貴族趣味的な文化はもはやほこりを被った骨董品になってしまっていた。カードキャプターのサクラちゃんはローラースケートで登校していた。
ぼくがこの作品にひそかに心惹かれるのも、考えてみれば自然な話かもしれない。ぼくは西洋の貴族文化をひそかに愛している。なぜ「ひそかに」なのかと言うと、自分という人間がそこからほど遠いことを自覚しているからだ。ぼくは豪奢なお屋敷には住めないタイプの人間だ。でも、その「高さ」の感覚に憧れだけは持っているからシルバーの万年筆をこよなく愛していたりする。西洋美術をいつか分かりたいと思っている。
「お兄さまへ」は、光の表現が美しい。妻の言葉で言えば「画面の芸術点が高い」。まだ途中なので、妻と一緒に適宜ツッコミを入れながら最後まで観てみようと思う。
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六時半。書き始めてからちょうど1時間経っている。少し時間を取りすぎだが、朝の日記習慣に慣れてくるまでは仕方ないことかもしれない。