朝4時半起床。昨日はお昼寝で長く寝過ぎてしまって失敗した。今日はお昼寝をせずに一日を終えることを目標にしたい。
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昨日は妻と長く一緒にいて、多くのおしゃべりをした一日だった。妻の髪を切り、一緒にシャワーに入り、”A” HAPPY NEW YEARケーキの最後の残りを食べながら妻の悩みを聞き、ご飯を作りながらひろゆきの話と差別の話をし、ご飯を食べているときも続きを話した。
夕食後は実写版リトルマーメイドのアリエルが黒人だった件について話し、ディズニーの手書きアニメーションの話をし、時代の違いについて話し、お互いが持っている紙の本にまつわる思い出を語り、コスパタイパ文化とモモの話をしたり、YouTubeが体験の外注化になっているという話をした。
夜寝る前もディズニープリンセスの話からディズニーの過去の名作についてあれこれと話してから布団に入った。シンデレラは変身願望を満たしてくれるから女子に人気があるとか、ベルは自分が変わるのではなく世界をもっと夢のあるものに取り替えただとか、二人で思いつくままにしゃべった。
妻とこういった会話ができるのは、とても幸せなことだと思う。妻と話すのも楽しいし、言語化するのも楽しい。なんにせよ、何かについて考えて言語化すると新しいものが見えてくる。楽しく話しているときは脳だけではなく身体も充実する。言語化は楽しいのだということを身体感覚として思い出すことができる。
そうだ、言語化は楽しいのだ。昨日たっぷり楽しんだおかげか、今朝起きてきたとき、以前手をつけていた歌詞の読解noteの執筆を久しぶりに再開したいという気持ちが生まれてきた。
今はまだ他の仕事を優先しなければならず、多くの時間は取ることができないけれど、いつかはそちらの企画も動かしていきたいと思っている。以前見た千葉雅也さんの動画の「自分の畑を耕す」ということ。二つくらいまでなら畑を増やしても大丈夫な気がしている。
なんなら、発表なんかせずに一冊のノートにまとめていってもいいくらいだ。ぼくが本当に求めているのはそういった類いの「研究」なのかもしれない。自分のためだけの、自分の心を養うためだけだけの研究。そういったものにずっと昔から憧れがある。
とは言っても、一銭のお金にもならない研究をするなんていうことは、少なくとも今のところ、現実的ではない。だからnoteで出すしかないだろう。今よりももっと気軽に文章を書けるようになったら、手をつけてみてもいいかもしれない。
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「毎日文章を書き、自分の文体を育てる」ということを今年の裏テーマにしよう。しゃべるように、散歩でもするように、すらすらと文章を書けるようになったら人生でやれることの幅がどれほど広がることだろうか。
今日はここまで。予告していた昨日の続きは書かなかったが、このくらい気の向くままに書いていくのが朝の日記にはちょうどいい。明日もまたふらりと筆のおもむくままに書いてみよう。これはリハビリなのだ。