「か弱さ」と「頭のよさ」

朝。といっても夜明け前の4時だ。

昨日の続きから書くつもりだったが、さきほど見た夢から連想したことを忘れないうちに書き留めておきたい。

夢自体の内容ははやくも雲散霧消して、もはやはっきりとは思い出すことができない。ただ、起きた直後に夢の内容に対して「昔からこうだった」という感想を持ったらしい。そしてそこから、学生時代の自分の振る舞い方を思い出して、「自分は昔から「弱い自分」を隠すために分裂していた。それをふたたび一つに貼り合わせるのがぼくの生涯にわたる課題なんだ」という思いを強く抱いた。

ぼくは人生の早めのうちから、家族や友達に対して「強い自分」というものを演じてきた。小学校六年生の頃の自分を思い出すと、細っこい手足や不安げなまなざしに象徴される「か弱さ」と、人よりも少しばかり勉強が出来たことか、もしくは本が好きだったことに由来するのであろう「頭のよさ」という二つの持ち物を持っていた。

傷つきやすさとおびえを抱えたまま、中学生になった。精神の成熟は遅れていたけれど、頭脳の成熟は相変わらず他の子たちよりも先を行っていた。一緒にいた他のどこ子よりも切れ味の鋭い頭脳を持っていた。そのことが友達たちにぼくを尊敬させた。

ぼくはときに小さな帝王のような気持ちですらいたような気がする。目に見えない小さなマントを引きずっているような気分でいた気がする。ただしそれも仲良しグループ内でのことで、そこから一歩でも外に出ればただの身体が小さくておどおどした少年に過ぎなかった。

なんにせよぼくは「頭のよさ」というものがもたらしてくれる、尊敬とプライドによってかろうじて自分を守ることに成功していた。親からの褒め言葉を得る上でも「頭のよさ」は大いに役立った。父親は自分のことのように喜んでくれ、母親は顔にはあまり出さないけれど内心誇りに思ってくれているのが伝わってきていた。

しかし内心では常に怯えていた。王様気分のマントの下に「か弱さ」を隠していた。それは次第にぼくの中に分裂をもたらした。定期テストの学年順位に、友達に向かって口にする言葉の鋭さに、心の強靱さが追いついてこなかった。

その分裂はあまりにも裂け目が大きく、隠しきれるものではなかった。ことあるごとに「か弱さ」が衆人環視の元で白日に晒され、そのたびにぼくのマントの下で心が悲鳴を上げた。

ぼくは月曜日に学校を休みがちになるという、中途半端な登校拒否児になった。

すでに40分も経ってしまった。今日はここまでにしておこう。一日30分くらいがちょうどいい。続きはまた明日の朝に書くかもしれない。