お正月をすごして

お正月をすごして

昨日はお正月だったので、一日休みを取って妻とゆっくり過ごした。仕事部屋に一度もこもらず、一日中リビングで過ごしたのかいつぶりだっただろう。

今年のメインイベントはオペラの魔笛を観ることだった。妻が前々から夜の女王の曲を知っていて、どのような内容なのかが気になっていたらしい。YouTubeに日本語字幕つきの動画があるのを発見して、お正月に観ようと話し合っていたのだ。オペラをまともに見たのは初めてだったが、ちゃんと面白かった。なにより有名なオペラの内容を知ることができるのがうれしい。

大晦日に作っておいた鶏の唐揚げとエビフライをおせち代わりに食べた。おかげで二人とも台所に立たなくて済んで、ゆっくり過ごすことができた。市販のスポンジケーキと冷凍の生クリームとみかんの缶詰でミニケーキを作った。ピンク色のチョコペンで「A HAPPY NEW YEAR」と書いたが、出だしの「A」を僕が大きく書きすぎて、妻が大笑いしていた。しかもGoogleで調べてみると出だしの「A」はいらなかったらしい。

その後、今度はオペラつながりでフィガロの結婚を観始めたが、妻が途中で眠ってしまった。小休憩を挟み、お味噌汁を作って唐揚げとエビフライの残りで夕飯を食べた。タイタニックの予告編を流したら、妻が「タイタニックを観るの?」と乗り気そうだったので、フィガロはやめてタイタニックを観ることにした。

何も特別なことはしないお正月だったけれど、妻は「いつ横とか隣とかを見てもそこに夫ちゃんがいるのがすごくうれしい」とたいへん喜んでくれた。うれしそうでよかったという思いと同時に、普段いかに寂しい思いをさせているかが伝わってきて申し訳なくも思った。

とはいえ、今の状況で日中の仕事時間を削ることはとてもじゃないができない。せめて二人で過ごせる時間をもっと幸せなものにできるように、夕飯以降の時間の過ごし方を考え直そうと思った。

現状、一緒に夕飯を食べた後でなんとなく映画やドラマを観て過ごすのが日課になっている。ソファで膝枕をして頭を撫でたりすることもある。でも毎日それだけでは窒息してしまうだろう。映画を観たりするのもいいことだけれど、もっと心がふれ合うような、大笑いし合えるような、そんな時間を作ってあげられないだろうか。

今日、ほんの少しの時間だけテレビ放送を流した。何かお正月っぽい番組でもやっていたりするのかなと興味本位でチャンネルをポチポチしてみたのだ。するとそれまでソファで横になっていた妻が身体を起こしてテレビを熱心に見始めた。ぼくと違って、妻はテレビ番組が本当はきらいじゃないのだ。楽しめる素養を持っているのだ。

テレビのバラエティ番組は不思議な力を持っている。それは映画やドラマのような「鑑賞するための作品」とは質的に異なっている。それはリラックスして楽しむためのもので、まるで液体のようにリビングに流れ出し、笑い声とどうでもいいことで家族の一体感を作り出す。リビングを「ふれあいの空気」で満たすことが目的のメディアだ。笑い声とどうでもいいことを共有してくだらない時間をともに過ごすための装置だ。

しかもテレビ番組は選べない。チャンネルを回せば、その時間帯にその枠で放送されているものが勝手に流れてくる。テレビ放送はいつでもそのとき一回限りのものだ。常に一期一会で、天気のように、時間の流れのように取り返しがつかない。この「有限性」はきっと何か大きな力を持っている。それは何か生きることの本質に近づいてくるものがあるように感じられる。

こう書きながらぼくが今思い出しているのは、まだ実家にいた頃の、テレビを消して寝室に行こうとしている父親の姿だ…。